佐久間考

あまり人に読ませる気がない

シュレディンガーの部屋

ツイッターで「片付いている部屋では、『失くしたものが見つかるかも』という希望はすぐなくなるが、散らかった部屋では長く続く」という趣旨の呟きを見かけた。リプ欄に「シュレディンガーの猫」という単語があって、なるほどと思った。

まさにシュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの部屋である。探しきるまで、探し物はそこにあるかどうか分からない。私はその方面の知識はとんとないのでなんとなくの意味しか知らないが、おそらく大方間違ってはいまい。

 

その意味で言えば、私の部屋はまさに“シュレディンガーの部屋"の名を冠するに相応しいもので、空間には希望が満ち溢れている。

社員旅行から帰ってきたまま、口を開け続けているスーツケース。弾丸帰省の荷物を詰め込んだまま放置されているリュック。内職の後、会社に持ち込み損なっている紙束。他にも様々なモノが空間を彩り尽くす。

 

そんな希望が散りばめられた部屋であるのに、私は入るたび絶望を感じる。一体この惨状をどうするつもりなのかと毎日自分の心に問いかける。

出すべき答えはひとつなんだと知りつつ、現在のところ、問いかけへは答えずにベッドに寝転がってYouTubeを見る日々が続いている。

 

だが、社員旅行で買ったにも関わらず東北のビジネスホテルに置いてきたであろう、『銀河鉄道の夜』のピンバッジと金色堂の栞が "見つかるかもしれない"という希望を捨て去るためにも、この部屋は早々に片付けてしまう必要があるだろう。

 

来月、親来るしな……。