佐久間考

あまり人に読ませる気がない

結婚

花粉の多い季節になってきた。

 

元来アレルギーのアの字もなかった人間だったのであるが、いつからか春になるとくしゃみと鼻水が頻発するようになった。さてこれはなんだろうか風邪でも引いたのだろうかと考えたがなんのことはない、周りのマスクをした人間と同じタイミングでくしゃみをし鼻をかむことに気づけばああ私は果たして花粉症になってしまったのだと諦めて受け入れるしかなかった。

 

そんなことはどうでもいい。

最近私の仲のいい人が次々と結婚していっている。高校の友人、大学の友人、先輩…本当にこの半年くらいの結婚ラッシュがすごい。

確かに20代も後半に差し掛かろうとする今、そして社会人として歩み始めた今、結婚を考えてもおかしくない年齢なのだ。

私ときたらどうだろうか。こんな知り合いもおらぬ田園風景の美しい町に導かれるように住み着き、会社の他には恋人どころか友人だってろくにいやしない。哀しいかな、結婚など遠い世界の話のように思えるのだが、気づけば背後にいて私を急かしていた。

 

正直に言えば、個人的感情としては無理して結婚しなくてもいいのではないか、と思っている。本当にこの人ならと思う人がいない限り、結婚に意義が感じられないのだ(それは当たり前かもしれないが)。お互いに興味がないだとか、嫌い合っているような夫婦をリアルでもネットでもちらほら見ていて、これなら結婚しない方が絶対マシだろうと虚しくなるときがある。

だが私はできれば結婚したいと思っていて、多分その理由の大半は親である。別に親に強制されているわけでもないが、大学まで行かせてもらえたのにこんな地元と縁もゆかりもない田舎に住んで安月給のしがない会社員をしている私が唯一できそうな、最大の親孝行が結婚だという話なのである。親から孫の顔が見たいなどと言われてしまえば尚更である。

それに、両親はとても仲が良く、家族の雰囲気は私が知る全ての家庭の中でも右に出るものはないほどよかった(さすがに贔屓目が多分に入っているだろうが)。今も。両親が喧嘩をしているところなど見たことがない。両親のような家庭を築けるならば本当に結婚はよいものだと思うし、あんな風になりたいとずっと思っている。もし両親の仲が悪くギスギスした家庭の中で育ったならば、結婚なんて絶対したくないと思っていたかもしれない。私は結婚への憧れを捨てられないのである。

 

恋人を持つという行為は、現代社会の結婚においてはまず前提として必要なものだ。しかしぶっちゃけここが一番面倒である。

そもそも私は基本自由に動きたい人間であって、好きなときに好きなことをできない生活を思うと耐えられない気がするのだ。それこそ趣味よりも優先させたいと思うような人が現れてくれればいいのだが、なかなかそのような都合のいい人間が目の前に来てくれるはずもなく。趣味を一緒に楽しめばいいのではという気もしたが、放浪癖があると上司に言わせた私に合わせていたら大概の人間は疲れる。いや、私も疲れているのだが。

それに好きな人間から好きになってもらったためしがほぼないので、どうも奥手になってしまう節がある。好きな人(好きだとバレてた、彼女はいないと思っていた)がデートしているところに鉢合わせ、土下座をされた人間なので(万が一のために言っておくが、今では格好の持ちネタになっている)。

多分、自己肯定感が低めなのも原因の1つなのだろう。自分を好きだという人間が現れると、「ああこの人、誰でもいいんだな」と思ってしまう。自分で書いてて悲しくなってきた。

 

だが、平日家に帰ったらひとり、夕飯も食べたり食べなかったり。休日も出かけない日はひたすら漫画を読むか動画を見るかのような日々を送っていると、不意に淋しさを感じる瞬間がある。そういうときはすこし、こんなとき恋人がいたらなあと思うこともある。

 

まさかこの話題でこんなに書けるとは思わなかった。結婚の話題が多いなあと軽い気持ちで書き始めただけだったのだが。

 

今の心境としては、ちょっとだけ淋しい気持ちを抱えつつも、好きになれる人が現れるまでは好きなことを好きなときに好きなだけやっていようと思う。年上の同期が、7年遊び倒してもういいか、と思ったら彼氏ができたと言っていたので、それくらいがちょうどいいかもしれない。まあ、彼女はかなり行動的な美人なのでそんなことが可能だったのかもしれないが、この際それは置いておこう。

できれば30くらいには結婚したいと思っているが、昔飲み屋のおっちゃんが手相で占ってくれた「結婚するのは30歳」というのが果たして本当かどうか、その時を待ってみよう。